槍ヶ岳への道

8月21日〜22日 新宿発23時の急行「穂高」に大月にて乗車(0時40分)最盛期は過ぎたと言うのに満員の為
デッキに座る。
友人等が乗っているはずの前4両を探したのであるが友人達の姿はなかった。
次の停車駅甲府でフィルムを買って今度のアルプス行きの好天を願った。辰野でやっと座席に座る事が
出来て少しホットした。松本からこの列車は前4両が大糸線に乗り入れるのであるが黒四観光客が多いの
で満員となった。 臨時停車の有明駅で降りたがまたホームが無かった。(前回前に乗ってなかったので今
回後ろに乗ったのだがまたしてもホームが無く飛び降りをするハメになった。)
しかし、そのお陰で有明からバスの乗車整理券は一番であった。 早速バスに乗ると直ぐ発車、全く連絡が
良かった。 バスは細い山道を徐々に上り詰めて行くがこのルートは2回目だったので、あまり胸の高鳴り
もなかった。 2時間程で中房温泉に着いた。 ここで弁当を買って水を補給して、いよいよ急登にかかった

そのうちに雨もぱらつく悪天候となり雨具をかぶって登った。 急坂なので、まったく暑くてかなわなかったが
どうにかガマンした。 途中一回小休止のかなり速いペースで合戦小屋に着いた。
合戦小屋で昼食、急登の後の昼食はいつでもおいしいものである。
ここで、ゆっくり休み燕山荘へと向かった。合戦小屋の裏手からお花畑の道を登りつめると合戦三角点に
着いた。 下を見るとガスの切れ間から緑の松本盆地が望めたが、それもまた直ぐ深いガスで包まれ
全く視界ゼロになってしまった。 
稜線に出ると雨と風がやや強くなって歩行が苦しくなった。晴れていれば燕山荘の赤屋根が見えて、それに
励まされて登る道なのだが、何も見えないので一層辛かった。 やっとのことで石垣の横の道に出て、
この上が燕山荘だと言う事が解ったが、こんな近くでも建物の影さえも見えなかった。又それ程濃いガス
だった。 燕山荘の前の広場に出ると高瀬谷から吹き上げる強風で吹き飛ばされそうだった。
やっとのことで小屋に飛び込み食堂で長い事待ったのだが、友人らは一向に登ってくる気配がなかった。
仕方が無いので万一の場合を考え暴風雨の中を迎えに行った。びしょ濡れになって合戦小屋の近くまで
行くとポンチョを被ってフーフー言って登って来る友人らの姿が見えたのでホットした。
大分疲労している仲間達を「もうすぐだ!」などと励ましながら、又燕山荘へと登った。
稜線に出ると風雨は一段と強くなっていた。 どうやら台風接近らしいなどと思いながらも小屋に全員着くと
ホットした。 宿泊の手続きをして部屋を決めてもらってから全員で風の弱くなった頃を狙ってガスの中を
燕岳山頂へと向かった。 花崗岩砂を踏みしめハイマツの間を縫って早いペースで登った。
三十分ほどで山頂に着き岩に腰を下ろした。 どんなにガスがかかっていても山頂に立つと言う事は気分
の良いものだ。 しばらく休んでから小屋へと戻ったが踏み跡を間違えて道に迷ってしまった。
ガスは、かなり濃いので一瞬緊張したが、懸命に探した末やっと正規の踏み跡を見出すことが出来た。
又しばらく行くと燕山荘の発電機の音がかすかに聞こえて来たので一同胸をなでおろした。
小屋に着いてから、取り止めの無い話などしていると、やがて夕食、皆余程お腹がすいていたらしく、階段
をドタドタ!食堂へ一目散。 山を歩くときも、この調子で頼みます。
小屋の食堂は賑やかであった。 「今日道で逢ったウサギ可愛らしかったね」 「明日晴れればいいね」
こんな話が交わされて楽しい雰囲気であった。
食後テレビを見ていると天気予報は台風の事を盛んに報じていた。
明日の晴天を祈って就寝。

8月23日 誰が持ってきたのか目覚し時計の、けたたましい音に起床。
布団をはねのけて廊下を早足でベランダへと向かう、一瞬「ガッカリ」ガスは濃く風雨とも強い。
朝食後皆で協議の末停滞と決める。 それは何故かと言うと今日無理して動くと明日も悪天候の場合下り
に負担がかかるからだ。 停滞と決まってホットしている連中が仲間の半数以上いる事は確実に解った。
暇で暇で困ったので雨具を被って希望者だけ蛙岩まで行く事にした。 蛙岩で岩峰に登ったりして遊んで
小屋に戻ったのであるが、何もする事がないのでお茶を貰ってきて早々と弁当を開いた。
まったく、それから夕食が待ち遠しくて仕方がなかった。 「夕食の用意が出来ました。食堂へおいで下さい
。」のアナウンスが流れると、待ってましたとばかりに食堂へ行った。

食堂はほとんど停滞組なので、相変わらず賑やかであった。 夕食後は世界情勢と自衛隊の存在について
激しいディスカッション?で時のたつのも忘れるほどであったが、隣のパーティから「そういう事は下界でやっ
てくれ!」 「すみません」で幕切れ。 皆もの惜しそうだったが就寝。

8月24日 昨日と同じ位の時刻に目がさめる。 また例のごとくベランダへ行く。 外に首を出すと東の空は
真っ赤に燃えていた。「ワァー!晴れたぞ」思わず小躍りして皆を起こした。その後小屋の外に出でご来光を
見る。 遠くには富士も望める良い天気で昨日までの悪天候はまるで嘘のようであった。
皆が感激してくれたので僕としても鼻が高かった。 はやる心を押さえて朝食を食べる。皆ご飯が喉を通ら
ないらしい。ザックのパッキングを済ませてから、小屋の前に全員集合、槍ヶ岳をバックに記念写真を撮っ
た。
さあ出発だ!全員の顔は心なしか明るい。後ろを振り返ると燕岳山頂がまじかに見えた。
「おい見ろよ、昨日あんな所で迷ってあわてていたんだぜ」 誰かの声に一同ニガ笑い。
全く山はこれだから恐ろしいのだ。 晴れていれば何でもない所でもひとたび天候がくずれれば、どんな事
態になるか想像がつかないのだ。我々は蛙岩を過ぎ切り通し岩へと快調に下った。切り通し岩の鎖場を過
ぎてから大天井岳への登りにかかったがやや苦しい登りだった。ほどなく大天荘に出たところで休憩した。

ここから大天井岳の山腹を巻くと大天井ヒュッテであった。しかし、ここから西岳までが思いのほか辛く一同
は途中でバテてしまって道端で腰を下ろしてしまった。もう少し登ると槍が見える所があったので無理やり
引張って来て休憩した。槍は小槍を従えてそそり立ち、ものすごく迫力があった。ここから水俣乗越まで急
激に下って、そこから一気に槍へ突き上げている東鎌尾根の道がすごく高いところに見えて一同タメ息をつ
いていた。 この地点から西岳までも、かなり長く西岳小屋の屋根を見出した時はホットした。
ほどなく西岳小屋に到着、昼食をとる。  西岳小屋からの下りは、すさまじく急で最初のうちはどうなる事
かと思ったがハシゴや鎖が固定されてあったので安全に下ることが出来た。 水俣乗越で休憩の後いよい
よ東鎌尾根の登りにかかった。道はかなり急なヤセた岩尾根でハシゴ、鎖の連続する登山道だった。
余り危険な所はなかったが何分にも急な道なので疲労していれば事故の起こる可能性は十分にあった。
慎重にたどり疲れが見えると必ず休憩した。槍沢から吹き上げる冷たい風が休憩のたびに心地よかった。
なおも登りつづけると、やがて左手にヒュッテ大槍のアンテナが見えた。なおも登り詰めるとかたわらの大き
岩に「ヒュッテ大槍まで6分」と書かれてあった。皆最後の力を振り絞って頑張る。「ヒュッテ大槍まで1分ガン
バレ」また岩に書かれたサインが目に飛び込んで来た。「着いたぞ!」トップの声にヤレヤレと言った感じだっ
だ。
今日のコースは実に長く苦しかったがついに小屋に着いたのだった。山小屋の部屋は昨日までの燕山荘よ
り大きく広々としていたので気分が良かった。しばらくしてからカメラのみをぶら下げて槍ヶ岳へと向かった。
ガスの合間に黒々と聳え立つ穂先が望めて、ものすごい迫力だった。岩尾根をハシゴを登ったりしてダラダ
ラ登り続け槍の穂先の根元を落石に注意しながらたどると、やがて槍ヶ岳山荘の前へ出た。
いよいよここから頂上へと向かった。岩ばかりの道を鎖をよじ登り、岩に埋め込まれたボルトに足を掛け
スリップに注意しながら慎重に登った。頂上の直ぐそばで足元が切れている所があったりして、この登りは
スリルがあった。やっとの事で頂上に着いたがガスで展望はなかった。 しかし夢にまで見た槍ヶ岳の山頂
に今立っていると自分に言い聞かせると、楽しくなった。頂上は狭かったが山名表示展望盤が置かれてい
た。
山頂の感激に十分浸っていよい下山にかかった。登りではスリルのあった岩場も下り口だけやや危なっか
しかったが、後はスルスルと気持ち良く下った。途中東鎌尾根でガスに浮かぶ雪渓を抱いた、ものすご゜く
荘厳な槍の穂先をカメラに収めた。ハシゴを下り岩場を通ってヒュッテ大槍へと下ったが山頂を極めた感激
に浸っていたせいか、やや危ない場面もあったが、ほどなくヒュッテ大槍に着くとすぐ夕食であった。
昨日とはうって変わって我々の他に3人の女性パーティのみの静かな夕食であった。
本日はディスカッションは早めに切り上げて静かな小屋の一夜を過ごし就寝した。

8月25日  昨日よりも良い天気の朝を迎えた。小屋の外に出ると東の空は赤く富士、八ヶ岳、南アルプスも
雲海に浮かんでいた。やがてご来光であった。この荘厳なご来光も今日は独り占めであった。
他の者達は昨日大分疲れたらしく、まだスヤスヤと眠っていた。 今日は一人で早めに下山するので早々と
朝食をとり水筒にお茶を詰めザックをパッキングした。 山小屋の人に挨拶をして小屋を後にした。
今日はいよいよ山を去る悲しい日でもあった。 心なしか足取りも重かった。それでも槍沢へと一目散に
下った。振返ると槍の穂先が鋭く聳え立っていた。東鎌尾根から手を振るパーティに手を振り返しつつ岩屑
の道を下った。雪渓の上の水場で顔を洗い、その後シリセード?で雪渓を通過した。途中の残雪で缶詰と水
筒のお茶を冷やしたりしながら、なおも下ると槍沢小屋が見えてきた。振り向くと槍が最後の姿を見せてい
た。

「さようなら!」振返り、振返り槍ヶ岳を見て別れを惜しんだ。やがて槍ヶ岳が見えなくなってなおも下ると槍沢
小屋だったが通過して槍沢沿いになおも下った。下りに下って傾いた吊り橋を渡ると一ノ俣山荘であった。
ここから丸木橋を渡り沢沿いに行くと屏風岩と南岳の美しい横尾山荘の傍らに出た。この付近の沢でも水
筒のお茶を冷やして飲んだか最高の味だった。弁当を食べてから上高地へと向かったが巾の広くなった道
を歩くと程なく小説「氷壁」の舞台になった徳沢園だった。ここでもゆっくり休憩の後単調な道を1時間半程歩
くとやっと待望の河童橋に着いた。橋から少し歩いたところでマイクロバスを拾い松本へと向かった。
途中大正池の景観を楽しみながら行くと釜トンネルだった。洞窟のようなトンネルで前を走る定期バスは岩
にボディを摺りつけんばかりに走っていた。途中ダム工事の現場等を横目に見てバスは走りつづけ、もうお
尻が痛くなる頃やっと田園地帯を走るようになった。ここから約1時間でやっと松本駅に着いた。
悪天候で予定が狂った為、お金がなく急行に乗れないため仕方なく鈍行に乗った。全くわびしい気分だった。
鈍行だと立川には深夜に着くので、途中大月で降りて夜行列車を待った。駅の待合室は蚊が多くて閉口し
たが夜行列車に乗って立川に着いたのは3時51分、ここでもまた南武線の始発まで大分待たなくてはなら
なかった。


私が高校生の時、憧れの槍ヶ岳に初めて登った時の山日記から紹介しました。私の場合は低山歩きから
始めて段々高い山に登るようになったので、日本アルプスに対する憧れは人一倍強かったかも知れません。
山は素晴らしいぞなどと言って仲間を山に引きずり込んだのもこの頃です。一緒に山に登った連中とは
やはり同じ苦しみを分かち合ったせいでしょうか。学校でも連帯感があり仲良しでした。
何か問題が起こると「あの雄大な大自然に比べれば、どうって事ない」とか言っていたのを思い出します。