私が高校生の時、山梨県の大月市に五百円札の裏側の富士山を撮影した山がある事を知りました。 今でこそ有名になってしまいましたが、その当時はあまり知っている人はいなかったように思います。 私が得意になって五百円札の山の話をすると友人達は皆興味を示し是非登りたいと言い出したのです。 その頃は確かガイドブックにも載っていなかったのですが五万分の一の地図を購入して計画を立てました。 そして夏休みに入る前の7月の中旬に五百円札を持って仲間五人で、五百円札の山を目指したのでした。 中央線の猿橋駅より田無瀬という所までバスで入り、バスを降りた後は林道を姥子山方面へと歩きました。 途中で林道から分かれ山道に入ったのですが、しばらく歩くと道は消えてしまいました。 仕方が無いので沢を登って行ったのですが、どうもルートが違うようだと言う事で途中から山腹をヤブコギ しながら登りつづけました。しかし大分登った所で身動きがとれなくなってしまいました。 下を見下ろすと沢は遥かに下で、初めて道に迷ったことに気がつきました。 転げ落ちるような急斜面を注意しながら下り、また沢を登り始めたのですが、途中ほとんどの者は沢に 落ちてズブ濡れ状態で沢を詰めて行きました。 懸命に沢を登って行くと、やがて上の方で人の声が したのでヤブコギをしながら登っていくと、そこには木材切りだし作業をしている方達がいました。 この日は道に迷ったりして、もう日暮れが近かった為作業していた方のご好意で造林小屋に泊めて 頂くことになりました。造林小屋は木の枝を寄せ集めて作った壁のうえにトタンをかぶせただけの誠に 粗末な小屋でしたが、野宿するよりはましという事で一夜を過ごしました。 翌日は晴れている事は晴れていたのですが今一つスッキリしない天候でした。 造林小屋を出発してからも2度道を間違え途方にくれていた所で、また運良く山仕事の方に出会い道を 教えて頂きやっと稜線に出ることが出来た時は本当にホットしました。 稜線に出でからの登りもかなり長くきつかったのですが、なんとか山頂に着いた時の感動は今でも良く 覚えています。山頂からの展望はもやがかかった状態であいにく富士山の姿を見る事は出来ませんでした。 五百円札を出して見ると、手前の山の形とかは全く同一で、ここが五百円札の山に間違い無い事は確認 出来ました。山頂から大峠に下りました。その当時の大峠は美しい草原で水場もあり素晴らしい所でした。 大峠からは木馬道を歩いたのですが、これがかなり傷んでいて足を載せると折れたりしてかなり難儀しま した。長い長い木馬道を歩いて林道に出た時は本当にヤレヤレといった感じでした。 間明野バス停までの林道も飽きるほど長くて苦難の山行を象徴したフィナーレでした。 雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま) 山梨県大月市 中央線大月駅の北西8キロメートル 海抜1,880メートル 大菩薩連嶺南部にあり、黒岳とは大峠を隔てて対する。山頂から富士山の眺めが 良い。五百円紙幣の裏側の風景は、この山からの展望である。 渡り鳥が飛ぶコースにあるのでその名が ある。 {三省堂コンサイス日本山名辞典による} |
雁ヶ腹摺山はその後2回登りましたが、富士山を望む事は出来ませんでした。この山の周辺も今では大分 様変わりして大峠を車道が通るようになり美しい草原もなくなってしまいました。 車道が開通した事により登山道も廃道状態になり歩いて登るには不向きな山になりました。 高校生の時に皆で五百円札を持ち登った山、今では姿を消した五百円紙幣ですが、五百円札があった頃 はあの時の仲間達は裏側の富士山を見るたびに、あの苦難の山行を思い出した事でしょう。 |