9月30日2時48分長野行き普通列車は塩山駅に着いた。 ここで3時間の待ち合わせ、乾徳山に登る友と 別れ、私と友人は5時48分発の韮崎行き始発電車で韮崎へと向かった。 韮崎着は6時41分、6時55分発の山梨交通白須行きバスは国道を快適に走った。 左手の車窓からは気の遠くなるほど高い甲斐駒の勇姿が雲上に浮かんでいるのが望め、山に入る私達の 心を、いやが上にも盛り上げた。白須でバスを降りてから、徒歩で竹宇に向かった。途中偶然に山小屋の おじさんに出会い、山の様子を聞くことができた。割合長く単調な道であったが、左手に尾白渓谷を望むように なると竹宇駒ケ岳神社に着いた。ここで朝食をとり尾白川にかかる長い吊り橋を渡ってから、いよいよ道は 登りになった。少し苦しかったが、頑張った。いくら登っても、この登りは終わりそうになかった。 もうアゴが出る頃、道はややゆるやかになって「カユモチ石」の水場に着いた。ここで一息いれ冷たい水で 喉をうるおした。全く生き返った心地がした。 しかしこれから先まだまだ長い長い急登が続くのかと思うと 気が滅入ってしまった。水場から15分位で笹原に出た。なおも辛い登りを1時間位続けると甲府盆地の 見下ろせる、やや広い所に出た。ここまで来ると、さすがにもう疲れ果てて、友人と共に腰を下ろして しまった。バスを降りてから、もう5時間近く歩いているのに、まだまだ先は長いのだ。 胸突き八丁の登りをウンウンうなりながら登りに登ると、やっと刃渡りであった。下を覗くと、吸い込まれそう だったが、難なく通過、ハシゴ等を越えてまた大分登った所で昼食をとった。 いくら登っても着かない小屋に、いい加減嫌になる頃、道は下りになった。少し勿体無いような気がした。 下り着いた所が五合目の小屋だった。白須から7時間の登りで、やっと初めての山小屋に到着ホットした。 しかし小屋番の姿は無かった。 ここでゆっくり休憩の後目の前にそびえる「ビョウブ岩」をハシゴで登り、 岩場を越えて桟道でガレ場を渡った。登りは一層きつくなった。 そして鎖場に出た。垂直の岩を鎖を 頼りに登るのであるが、下に目のくらむような谷が広がって、何か不気味な感じがした。 上の方まで登ると、ホールド、スタンスがなくなり一瞬足が宙に浮き、思わず緊張してしまった。 岩場を越えると、その後は木のハシゴの連続、疲れも激しくなって足も重かった。 またしばらく歩くと鎖場だったが、今度は難なく通過し、またハシゴを登った。登りは一層急になり、一層 苦しくなった。 登りに登って、岩をよじ登りハシゴを越えて、もう登るのが嫌になる頃、「小屋だ! 」と言う 友の声に、思わず小躍りしてしまった。 「いらっしゃい」と言う小屋の番人の顔が、まるで神様の様に 見えたのも無理は無かった。 水場で水を飲み荷を置くとサッパリした。やがて外はガスやや晴れて、鳳凰が頭をだした。 頭の上に目をやると駒の八合目あたりが見えた。紅葉が実に鮮やかだった。 夕食後外に出ると雲が流れているのが見えた。 「雲が東に動いているから明日はきっと晴れるよ」と言う 小屋のおじさんの声に思わず嬉しくなった。 明日の好天を祈り就寝、月がとても美しかった。 翌朝起きたのは5時頃、今日はいよいよ頂上に登るのだ。小屋の外に出ると東の空はもう真っ赤に燃えて いた。 快晴だ! 良かった、本当に良かった。昨日小屋のおじさんの言った通りの天気になった。 「おじさん、ありがとう!」 ナップザックに必携品を入れて頂上へと向かった。しかし道は急だった。 荷物が軽いのと、早く頂上へと気がせくせいか、オーバーペースでやや苦しかった。 途中見晴らしの良い所で、ご来光を見つつ登った。真っ白な雲海の上に八ヶ岳が美しかった。 急登をなおも続けると、やがて森林限界を抜けた。 「槍ヶ岳だ!」思わず叫んだ。はるか北西の彼方に 槍ヶ岳の尖峰がそびえ立っていたのだ。大キレットも、そして穂高の岩肌までハッキリわかった。 こんな所で、あんなにはっきりと槍ヶ岳が見えるなんて、信じられなかった。 空は雲一つなく全く素晴らしい天候だった。 しかし登りは一層急になった。しばらくでやっと八合目に 着いたが駒の頂きは遠くまだ高かった。八合目で一息入れた後、なおも頑張った。鎖場を三箇所程過ぎて 登りに登ると頂きが頭上に迫ってきた。グングン登り一歩一歩踏みしめた足元は花崗岩砂であった。 登って登って、やっと念願の頂上へあと数メートルになった。 「着いたぞ!」 思わず嬉しさがこみ上げた。昨日から10時間以上も急坂をあえぎながら登って来た、 2,965.6メートルの頂きに着いたのだ。 1,500メートル位までバス等で登ってしまう北アルプス、八ヶ岳等の 山頂に立った時とは全く感激の度が違っていた。 まさに、これが甲斐駒黒戸尾根の醍醐味なのだと思った。真近に迫る日本第二の高峰北岳、そして南アの 女王仙丈岳、中央アルプスの山並み、木曾御岳、乗鞍、焼岳、穂高、槍、薬師、立山、剣、白馬、妙高、 蓼科、八ヶ岳、富士、鳳凰と展開する360度の展望はもう何もかも吹き飛ばしてしまう、素晴らしいもの だった。まさに苦しい登りに打ち勝った登山者のみに与えられる特権である。 空は気の遠くなるほど青く我々の登頂を祝福してくれた。この分では、あの苦しみを忘れて来年の今頃は 又黒戸尾根を登る事になるだろうなあ! そう言う思いが出で来るのが自然なほど幸福な一時だった。 この素晴らしい甲斐駒、名残はつきなかったが、さよならを言いつつ頂きを後にした。 苦しい登りの時は「何故こんな苦しい思いをして山なんかに登るんだろう」そう思う。 しかし、いつも頂きを後にする時は、そんな事はオクビにも出さない。 山は偉大で美しい、本当に山が好きで良かった。そう思うのである。 さらば甲斐駒よ、南アルブスの山並みよ、又来る日までさようなら! ハイマツの間を縫って快適に下る私達は本当に幸福な登山者だった。 |
私が高校生の時の山日記から紹介しました。今読み返すと、少し恥ずかくなりますが、青春真っ只中と 言ったところでしょうか? 甲斐駒黒戸尾根は最近も登りましたが、当時より登山道の整備が行き届き危険な所はなくなりました。 私も永年の山登りで、登り方がうまくなったのでしょうか? 昔ほど苦労せずに山頂に着く事ができました。 深田久弥氏は著書の「思い出の山旅」のなかで甲斐駒黒戸尾根の事を、この様に書いてらっしゃいます。 名峰駒ケ岳の表参道とでも称すべきものは、この甲州側の道である。したがって途中の眺めのいい個所 には不動明王や石碑や鳥居などが立っている。だが登ってくる人にとって、この道は相当苦手だ。 なんせよ五百メートル位の麓から、ただちに二千五百メートルの高さに屹立しているのだから、下から上まで ほとんど急坂ずくめである。 しかもそれが上にいくほど険峻を加えるのだから辛い。 それだけにまた、いかにも山登りをしたという愉快さもある。 |